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カテゴリ:ユキエの歴史( 6 )

出れるのか保証のないFISワールドカップの遠征に費やしたシーズン。
スイス・フランス・イタリア・オーストリア・ドイツ・アメリカ・カナダ・・・。何カ国、何大会も出向きました。
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(1997.1 Swiss~Italia~France)
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(1997.2 Germany~Swiss~Austria)
とにかくお金をかけないように駆使しながらの遠征で、ヨーロッパ内の移動は飛行機は使わずすべて列車。
この頃、よく一緒に遠征していたのはゆりっぺこと吉川由里ちゃん。彼女はナショナルチーム員であったにも関わらず、行動を共にしてくれることが多かったんです。

当時まだウィール付きのスノーボードケースってものが無かったので、移動はメチャクチャ大変だった。大会遠征だからスノーボード道具はすべて2セットは持っていないとならなかったし、チューンナップ道具やら何やら…
荷物を行く先々へ送るなんて時間もお金も余裕はなかったので、いつも必死で運んでたな~。自作でタイヤ付きのラックにくくりつけたり。重すぎて何度も壊れたり。
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(1997.2 Swiss Zurich)
でもそんな旅は本当に思い出深いものです。

そんな道中で一番心に残った場所は、イタリアを移動中にふと立ち寄ったミラノ。
ミラノって有名だし、と何気なく電車を降りた私の目に飛び込んできたのは、教会堂の『ドゥオモ』。
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(1997.2 Italia Duomo)
厳しい遠征の途中だったこともあり、またこの建物が素晴らしくて本当に感動した!!あの気持ちは今でも忘れられない。。。

自分以外はみんなナショナルチームのメンバー。
そこに入っていないのにしつこく(!)くっついて大会を転戦していた私。

毎回現地へ行くたびに、コーチに「上田、今回は出れないぞ」と言われ落ち込み、でもギリギリで枠が一つ空いたりして運よくすべての大会に出ることができたんです。

私にとっては毎回が「出れるか出れないかわからない」状態で大会前日まで過ごすので、「出れる!」と決まったらもう躊躇なく全力で行くしかないと物凄く息巻いていました。

それまで日本ではアマチュア大会しか出たことがなかった私にとって、ワールドカップのハーフパイプは別物でした!とても大きくて全然慣れていなかった。正直このワールドカップ遠征で上達していったようなものでした。
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(1997.2 Austria)
顔面の傷など相変わらず負傷は絶えなかったけど(苦笑)大きな怪我もなく、良く考えると全く部外者の私に周りのみんなもコーチもよくしてくれたな~と思います。
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(1997.4 Niigata Naeba/Asagai)
遠征も終わり春の日本。新潟の湯沢エリア。
今はなき、『ファースト石打スキー場』や、『苗場の浅貝ゲレンデ』  なつかし~
そして、私の横に写ってるギャルっぽいボン!(大木絵里)や、まだ10代だった真里(水上)も同じスキー場に籠ってました。ふたりともかわいかったね~(笑)

*****
ガムシャラに突っ走ったシーズン。途中で足りない遠征費に、子供の頃に貯めていたお年玉貯金を下ろす時、(将来の自分の夢のために使うってことは気持ちいい!)と思ったものです。

そしてこのシーズンが終わった5月、念願のナショナルチーム入りが決定。
夢への道のりに乗っかることができたんです。
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子供が生まれる前にと整理したアルバム。久々に私の歴史の続きを書きます**


あっという間にプロスノーボーダーへ昇格した私。20才で始め、たった3年目だった。
当初私は、ただプロの大会にチャレンジしてみたいと思っただけで、『プロスノーボーダーになる』という意思は全然なかった。
自分には小さい頃から両親から受け継いできたスキーの仕事もあるし、夢見た海外でも働くことができた。
だからスノーボードは趣味でただ楽しく滑っていられればいいと、そう思った。

周りに、「プロになりたい!」と懸命に努力している人達が大勢いた。血眼になって物凄い強い信念を持ってプロ資格に向かっている女の子達を見ていた。
だから、怖かったというか・・・そこまでの思いを持っていないのにやるべきではないと思ったし、私にとってスキーや海外の仕事は自分がやりたいと思って掴んだ道だったから、そこまで思えていないプロスノーボーダーの道に進もうとは思えなかった。

そんな簡単なものではないと思った。今までの道も捨てたくなかった。

でもその時、私を育てて応援してくれた人の言葉が私の気持ちを変えた。

「皆がなりたいと思ってもなれるわけじゃないスタートに立っているんだよ。挑戦しないでやめていいのか?
やってみて、本当に自分には合わなかったらやめればいい。
いつかお母さんになった時に、自分の子供に、『お母さんは昔プロスノーボーダーだったのよ』って言えるだけでもカッコいいんじゃないか?」

・・・その言葉が私の道を変えた。
ホント、単純に、(そうだ!お母さんになった時に子供にそう言えたらカッコいい!)ってそう思った(笑)
今までの道は捨てるわけじゃなく、新たな道に挑戦してみようと、そう思えた。
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(1996.8 Newzealand)
唇が黒いのは、ジャンプの着地で膝にアゴが入って口と鼻から流血。バックリ切れて下唇を何針か縫って、また滑ってた。
何をどうしたらいいのかわからず、とにかくチャンスを追いかけ始めてた。
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(1996.7 Australia)
この時すでに4度目だったニュージーランド。旅人の血も疼く。
新たな地を開拓してみたくてオーストラリアへの往復チケットを買って渡った。
しかしオーストラリアのスキー場はメチャクチャ高かった!そして雪は薄かった・・・。
2週間ほどあちこちのスキー場を徘徊してみた。
住むところも高いのでキャンプ場に置いてあるトレーラーハウス(車で引っ張る部屋の部分)を安く借りて、メッチャ寒い車の中に滞在。
シャワーは外で遠くて凍えるので、備え付けのシンクで髪と顔を洗い体を拭く毎日。

その後、今も仲のいい高校時代の友達がちょうどサーファーズパラダイス辺りに留学していたので遊びに行ってみようと、オーストラリアの下の部分から上へ向かって車を走らせること2泊3日。走り続けて夜になればそのままシートを倒して眠り、朝起きたら走り始めた。
スノーボードしていた寒い場所から、走るごとに着こんでいた衣類を脱いで行ってサーファーズパラダイスに着くころには半袖&短パンになってた。

暖かくって海が綺麗で、友達の住んでいる家も超綺麗でまさにパラダイスだった☆
先日この友達に会った時、
「そういえばユキちゃんあの時私の家に来て、シャワーから暖かいお湯が沢山出る!って凄い感動していたよ。謎だった。」と言われた・・・(笑)

オーストラリアって広い!と、つくづく実感。
1週間ほど友達の家に泊まり、また車を返しに2000キロくらい車で突っ走り、そしてニュージーランドへと戻ったのでした。
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(1996.11France Tignes)
秋。「プロの人達は秋はヨーロッパに行って練習するんだよ」と聞いた。
これからプロ1年目の私は、プロの人達以上に練習しなきゃその中で上を目指していくことなんかできない!と焦り、ニュージーランドから帰ると一日にバイトを3つハシゴしながらお金を貯めた。

そして、フランスのティーニュのスノーボードキャンプに参加。
ライオ(田原)、露ちゃん(露崎ノリフミ)、タカシ(西田)、曽根ちんや平岡アキくんなど大勢のプロスノーボーダーがいた。
ハーフパープのキャンプに行ったはずがまさかの大雪。毎日パウダー。この素晴らしいメンツに混ざってクリフを飛んだりフリーランばかりしていた。

パイプの練習は出来なかったけど、このトリップで得た『情報』がまた私の人生を大きく変えた!


この頃、初めてスノーボードがオリンピックの正式種目になることが決定した。
しかも次は日本で開催される長野五輪。

既にナショナルチーム入りしていたライオや曽根ちんもいたし、衝撃的だったのが西田崇だった。
ナショナルチームに選考されるにはまだあまり情報がなく大会もすごく偏っていたから、実力のある日本人が皆選ばれているわけではなかった。
だから目指したいなら自分で動くしかないと、西田崇は自費でオリンピック選考の対象となるワールドカップに出場すると言っていた。やりたいならこういう方法があるよ、と教えてくれた。

でも、出れるかどうかわからない海外の大会に自費で行くのはすごいリスクと勇気がいる。私はそんなことできる身分ではない。日本のプロツアーに出場して結果を残すことをスポンサーに約束して初めての契約金をもらっていた。

しかし、フランスから帰ってもタカシの言っていた情報と行動が私の中ですごく引っかかっていた。
そんな時、カナダのワールドカップ初戦で個人的に参加した西田崇が日本人で最高位の結果を残し、ナショナルチーム入りを果たしたというニュースを聞いた。
その瞬間、何かがはじけた!正直、すごいって思ったし、動かず外野で見ていた自分自身が悔しかった。

(やらないで後悔するより、ダメでもやってみよう!)とこの時初めてスノーボードで本当に自分の強い意志を持った気がする。

翌日スポンサー会社に出向き、
「すみません。契約した内容と自分の意思が変わりました。
どうしても、今しか目指せないオリンピックを目指してみたいと思います。
今季、日本のプロツアーは一切出ずに、すべての時間とお金を使ってワールドカップを自費で遠征してみようと思います!」
と話し、契約金を返還する覚悟を正直に話した。

ありがたいことに、スポンサーの方々は「ワールドカップ転戦の足しにしたらいい」と契約金をそのまま使わせて下さることに。

これまで働いてきた貯金と、子供の頃からお年玉で貯めてきた貯金通帳を握りしめ、
『自分のために、自分の時間とお金を精一杯費やしてやってみよう!!』と固く決意したのでした☆

つづく・・・

(ここまでの歴史も右のカテゴリの ユキエの歴史 に入ってます)
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(1995.7 Newzealand)
95年夏、3度目のニュージーランド。
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同じくカナダから日本経由の南半球行き周遊チケットを買い、帰りに東南アジアを旅しました。
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(1995.11 USA Sanfrancisco~Reno~Salt lake)
同年11月、サンフランシスコへ降り立ち、ここからグレイハウンドの長距離バスで一晩かけてユタ州ソルトレイクシティへと向かいました。(国内線を使うよりこの方が安く行けたんです。)
お金は無いが、時間と旅する気持ちがあれば、安いし遠回りでも楽しめる!
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(1995.12 Usa Brighton,Utah)
ユタ州、Brighton!ここで約2ヶ月の滞在。
ハーフパイプがあるって聞いて行ったのに、毎日大雪でパイプは埋まりっぱなし。ここでフリーライディングを沢山勉強しました。
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車を持てなかったこの時、毎日市バスで1時間以上かけて山の麓へ。そしてそこからゲレンデまでは交通手段が無いから毎日ヒッチハイク!!ゲレンデに向かうのと降りるのだけだから、危険なことは無かったけど・・・やっぱこれも無謀でしたね。
ユタ州にて、ユキエ23歳になりました☆
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(1996.2 Japan)
関東大会地区予選に合わせて2日前に帰国。全くハーフパイプの練習が出来ないまま大会へ。
そしたらナント、準優勝♪(1位は吉田裕子ちゃん、3位が小嶋貴子ちゃんでした)
フリーライディングで培ったスピード感とボードの乗り方がここで活きたんだ!と実感。
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その後、モローカップで優勝したり(左右は三宅陽子ちゃんと吉田裕子ちゃん!)

勢いに乗った私はこの年プロ戦へ推薦出場し、プロ資格を掴んだのでした☆
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プロになった時のストーリー。

車を持っていなかった私は、友達3人とそのまた友達に車を借りて岐阜のスキー場へ。
途中の峠で大雨になり、車が故障。
雨に濡れながら車を押して峠を上り、惰性で降りたところで停まってしまった。

当時携帯もなく、ヒッチハイク。人通りのない明け方の田舎で。
通りかかったスキーヤーの車にまず私が乗せてもらい(他2人は男の子だったのでスタートが遅いということで)スキー場へと迷いながら連れて行ってもらいました。

着いたらもう10時で本来予選は始まっている時間だ。
でもナント雨で押してた!公開練習も終わっていていきなり本番!!

で、私はその一本で決勝進出。その日プロへと昇格したのでした。

一緒に行った男の子2人は撃沈。(ひとりは露ちゃん 笑)
「女は強え~な。」 と一言言われました。

あの時のスキーヤー4人組、今となっては誰だかわからないけど本当にありがとうございました!!
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(1994.6~ Newzealand)
1994年夏、再びニュージーランドへ。3ヶ月スノーボード生活!
(当時流行っていたレイトのシフティー180を猛練習・・・ 笑)
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(1994.10 Tokyo)
秋、日本に戻り、日本のスノーボードイベントへ行ってみた!後ろに半ちゃん(12ENTERTAINMENT)や、佐久間ひろしくんがいる!笑
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(1994.12 Hokkaido Niseko)
テレビドラマの撮影で北海道へ。
本木雅弘さんや杉本哲太さんと!当時結構流行った『素敵な片思い』っていうドラマで、主演の有森也美さんがスキー部だった役でその滑ってるシーンの吹き替えを私が担当してたんです。おもしろかった。
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(1995.1 Hokkaido Asahikawa)
北海道へ来たからには、と旭川へ!当時、プロスノーボーダーが沢山練習に来ている場所へ私も行ってみました。そして初のハーフパイプ!!モローカップのビギナークラスにチャレンジし、優勝~♪ あ、ドレッドの高橋れい君(FLUX USA)がいます(笑)当時すごい激しいインパクトだったなあ~。
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(1995.2 Niigata)
その後本州に戻り、アマチュア大会を転戦。シーズン終わりにはスノースタイルカップで初優勝!
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(1995.3 Iwate)
金田由貴ちゃん(Salomon)や赤塚けいちゃん(現在千原くんの奥様)も既に活躍してたよ~。
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(1995.3 Nagano)
あ、MCアリー君ともこの頃から一緒でしたね~。この頃自分の車はなく、常に電車やバスで移動。大会のために親の車を借りたらフロントガラスを割ってしまいテープを貼り付けながら走ってました。
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(1995.4~ Canada Blackcomb)
1995年春になり、再びウィスラーへ!ブラッコムのサマーキャンプに参加。
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この頃初めてスポンサーがついて、MORROWとPROMというシャノンダンとティナバシッチがライダーとして始めたガールズウエアーを使用。当時スノーボーダーはダークな色のダボダボウエアーばっかりだったから、このピンクのオーバーオールを見たときは衝撃的で、「可愛い!絶対着たい!!」と、メーカーに猛アピールしてスポンサーゲットしたのを覚えています(笑)
キャンプのコーチはトッドシュロッサーや、ライオも居た!
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春~夏のウィスラーは最高で、この時から毎年行くようになりました。右端にまだ10代の頃の小松ゴローちゃん(笑)
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20歳からの内容と写真が多すぎて、なかなか前に進みません。。。

学校を卒業して、念願の海外の仕事が決まった私。
街では相変わらずガン黒ギャルちゃんになりつつも(半端ない)
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(1993.7 Tokyo)
出発までの半年間を利用して千葉の海へと働きに行きました。
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(1993.8 Chiba)
私、本当はサーフィンがしたかったんだけど・・・オーナーさんの指導によりボディボードにすっかりハマらされ、ひと夏終わるころには相当な腕前になっていたと思います(笑)
今でもたま~に遊びに行く、平砂浦のマーメイドというペンションです。

そして、初のオーストラリアへ☆スキー雑誌の撮影でした。
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(1993.9 Australia)
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この頃から、スキーモデルとして雑誌やポスターの仕事をすることも増えてきました。当時、スキー業界はバブリーだったんですね~。
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(1993.11~ Canada Whistler)
そして、とうとう・・・
運命のカナダ・ウィスラーへ!!!
1993年、私は20歳でした。
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ガイド時代。ウィスラーのゲレンデや町のガイドをしていました~~っ。勉強することが沢山で、初めてのことだらけで、本当に充実した日々でした。
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そして、運命のスノーボードとの出会い☆☆☆
カナダウィスラーでデビューだなんて、とても恵まれた環境でした。最初から飛んだり跳ねたり周りの人にくっついてチャレンジしてました。
この頃、ウィスラーに来ていたスノーボーダーは、まだ数えるほどだったな~。
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・・・(笑)あるでしょう?こういう写真!最初に買ったのは、中古のBURTONのボードでした。懐かしいっ
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仕事しながら、スノーボードにハマった日々。
楽しくて仕方ないけど、
(私、せっかく外国に来たのに、このままでいいのかな?)と。
友達はスノーボーダーの日本人が多く、仕事もある程度出来るようになったら勉強もしなくなってた。

(このままじゃいけない!)

と思った私は、ひとりアメリカ縦断の旅に出たのでした。
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(1994.5 USA Los angels)
電車とバスで3~4日かけて、Los Angelsへ!!そう、これも運命の地です☆
Hollywoodのチャイニーズシアター前で、こじきに間違えられて1ドル握らされたのはまさにこの時・・・↑
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夜行列車でグランドキャニオンまで行って、一番安いヘリに乗ったらちょ~揺れて恐ろしかった。

LAからの夜行列車から見た、砂漠の中の朝焼けは今でも脳裏に焼きついている素晴らしい景色のひとつです♪
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電車とバスで、毎日あちこち旅をし、
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(1994.5 Mexico)
MEXICOにも行ってきました!
そう、この国境も春に日本から連れて行った両親と行った場所。

この時は、まさかいつか両親を連れてここへ再び来るなんて思いもしなかった。
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いつも首からかけてた貴重品。いかにも過ぎて危ない気もするが・・・。
バックパッカーや安宿に泊まり、共同部屋ばかりだったので、シャワー浴びるときも持ち込んで掛けていたのを覚えてます。

サンディエゴはすごく綺麗で最高な雰囲気で、映画で見ていた世界に来たみたいで。
どこだって、こうして自分の足で来ることができるんだ!って知った気がします。
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LAのサンタモニカ!!
ここのユースホステルは綺麗で安全で、ここが一番多く滞在した場所になりました。

この時から、カリフォルニアは私の憧れの町となり、ず~っと今まで憧れ続けた場所だったんです。
そこに、今自分が住むようになったなんて・・・

この写真たちを見ていると、なんだか信じられない事実です。
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いつか、絶対また来たい場所!と、この時21歳の私は心で決めていました。

その後、カナダに戻りニュージーランドへ行く航空券を買いました。
そう、スノーボードをするために!!
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(1994.7~ Thai~Malaysia~Singapore)
周遊チケットを買い、日本に1週間だけ戻って親に顔を見せたあと、周遊チケットを利用してシンガポールからタイ・マレーシアの島へと旅をしました。空港にスノーボードだけ預けて、バックパックに当時履いてたAIR WALKのブーツとBURTONのバインディングを付けたまま!バスや船で旅をしてたんです(笑)何やってんだろう、私・・・。
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リゾートっぽい写真しか残っていないけど、実際すごいハードで危険な旅でした。
シンガポールからタイ、マレーシアと10時間以上長距離バスに揺られたり、いつ国境を越えたのかわからなかったり。

今考えるとなんて無謀なことしたんだろうって思います。
この頃、世界を旅するってことが面白くて慣れてきて、何だってできる!と思い込んでたんだと思います。
あ~怖い怖い。
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何事もなく無事に旅を終え、ニュージーランドへと旅立ちました。

唯一、この後一ヶ月くらい意味不明のかゆ~い発疹に悩まされた!タイかマレーシアの何かにやられたんだと思います。
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実家にて、ダンボール3箱分に詰まった数千枚の写真を、新しいアルバムに収めてます。
そのうちアメリカの自分の家に持っていけるように、数十冊のアルバムを数冊にまとめています。
捨てたくないけど・・・この大量の写真はそろそろ整理しないとね。
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生まれた頃の写真。これまだ2ヶ月!きっと、これから自分の子供と照らし合わせて行くのかな。
ふたりのお姉ちゃんに囲まれて(^-^)
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母が完全に若いです(笑)私、お相撲さんみたい・・・(苦笑)大変そうだけど、やっぱ3人兄弟っていいな~。
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かなり小さい頃からスキー場に行っていました。4~5歳では既に滑ってたみたい!
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小さい頃はミソっ歯で、前歯とか全然なかったです。
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小学校入学。6年間ず~っと背の高さが一番前でした。
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姉たちとはほぼ1年ずつの差なのに、私だけちょ~ちっちゃかった。
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しかし完全やんちゃで、骨折したり頭なんて3回くらい切って縫った。きっと坊主にしたら3つハゲがあります・・・
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そんな私も中学生に~。
今でも地元で会う親友です。こういう格好にやたらハマってたね・・・
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そして時代を感じるこのポニーテール。・・・私の中学時代はビーバップハイスクールとか流行ってました。同じ世代の人はわかってくれるでしょう。
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高校生。セーラー服が好きで、学校にもしょっちゅう着てってました(笑)学校は自由制服だったんで。
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高校でも一緒だった親友~。
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初めてのバイトは『すかいら~く』だった。15歳のときですね~。
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やや、街の遊びを覚え始めた高校生・・・。
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ガールズバンドもやってました(笑!)プリンセスプリンセスのコピーバンド。いかにもでしょう?私はベース担当で文化祭でライブやったり、ドラムも好きだったな~。 この頃からの友達と話すと、バンドは相当恥ずかしい過去でもあるけど、今となってはかなり笑えるいい思い出です♪16才の頃。
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これまた時代を感じる蛍光水着!高校生の頃は友達とメチャクチャ遊んでたな~。
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高校卒業して、専門学校時代。17才~18才、ちょ~ガン黒時代です(苦笑)
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冬はスキー場で合宿、夏は海でバイトしながらの学生生活、合間に街で遊ぶという『自然と街』の行き来の生活が私の中でピッタリはまってきました。
・・・眉毛の太さにも時代がっ
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初めての海外は一人旅。ニュージーランドで姉の働く姿を見て、海外のスキー場を滑ったのもこの頃。
『世界は広いんだ!』って、色んな刺激を受けて、海外を視野に入れるようになりました。
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日本の文化を知って、海外にも堂々と出て行きたいと、日本舞踊や英語に興味を持ったり、とにかく気になることは何でもやってた!
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そして、東京に戻ったときにはいつも変わらずつるんでた友達。これは18才の時の沖縄旅行。
結婚パーティーにも来てくれたこの2人とは、高校でバンドも一緒にやったし(笑)夜遊びもしたし(笑)、今でもつながっています。そして!
この沖縄旅行から約20年、(コワ・・) また3人で旅行行くんだ~~っ♪楽しみっ。
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成人式、20歳になった私。
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学生時代はまさに、東京の遊びと雪山を行ったり来たりのライフスタイル。東京ではボディコン着てセンスも持ちました(笑)時代ですから・・・。そして一年の3分の1は雪山で合宿。スキーも大好きでした。
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そして専門学校卒業。

ここから私の海外進出、そしてスノーボードとの出会いが!!!

ユキエアルバム、二十歳まで。やっとここまで出来たっ。なかなか楽しい作業です。
かなりさらけ出してしまいましたが、私の時代を感じてくれたでしょうか?

続き作りま~す♪
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